中学生活7 /
むろや
前回「本当にこいつはどうしようもないゴミだな」
そこには4人からボロクソに言われてベソをかいているケイスケの姿があった。
10分程前、正門を乗り越え、石碑や記念品の立つ中庭を抜けて校舎の特別棟の外階段を上り、スライド式のドアが見えた、という所でケイスケは「あっ」と小さく声を漏らした。
僕らはまさか、と思ったが、そのまさかだった。ドアーのカギを開けて帰るというたったそれだけの仕事をこの愚図はしくじったのである。
「この木偶の坊どうしよう。ここに朝まで縛り付けておこうか。日本脳炎にかかっても元々鈍いからあんまり変わらないかもな」
マサヒロが口を大きく割って品のない笑みを浮かべ、ケイスケの肩に手を回すと、愚図は壊れたラジカセか気の違ったオウムのように「ごめんね、ごめんね」と繰り返した。
カギが開いてませんでした、では帰りましょう、さようなら、と諦められるはずが無い。僕は面倒くさかったし何より眠かったので帰ろうと切り出したのだが、ヒロが校舎の中を見たいとうるさく言うので校舎の外周を5人で歩いて回りカギが開いている窓が無いか確認した。
3周か4周か回った頃には淡い期待は打ち砕かれて、僕らは昇降口の前で腐っていた。
この日の夜は今年一番の最も蒸し暑い夜だったと思う。昼間は上からグリルされ、夜は夜で太陽光を吸収したアスファルトに肉まんよろしく蒸し焼きにされるのだ。
学校の近くの沼からは牛のようなカエルが汚いテノールで鳴き続けていたし、真夜中に削岩機のような音をまき散らすアブラゼミはオーチャードホールで演奏するイングウェイくらい場違いで、小学生に爆竹を巻き付けられて爆破されてしまえばいい、と思った。
僕はTシャツに膝丈までのカーゴパンツ、マサヒロはタンクトップにデニムのハーフパンツ、ヒロは綿パンとトレーナー姿でタカシは上下学校指定ジャージ、ケイスケはもちろんランニングシャツに綿の短パンで、みんなサンダルを穿いていた。僕らを悩ませたのはうだるような暑さだけではなく、その暑さによって大量に発生した蚊がむき出しの10本の足を攻撃し、両の手を使用不可能にさせられた事で、それは余計に5人のイライラを増幅させた。
1人が暑い、と言うと
「あつい」
「あついな」
「あぁあつい」
「うん。あつい」
4人はそれに呼応し、順々にあついあつい、と言った。
もたれ掛かっていた昇降口のガラスの温度が人肌になり、他に冷たい物は無いか、と腰を上げた先にあったのは、立派な三色の鯉の泳ぐ長方形の池で、マサヒロの方を向くとヤツは既にタモを握りしめており、鯉に突撃して行くところだった。
紅白、大正三色、昭和三色。鯉の名前を知っていても、何を基準にして区別されるのか僕は知らない。知らないけれど小さな池で泳ぐ鯉達はいずれも大きく奇麗な模様をしていた。それが高価な魚なのだという事は中学生になっても分数の約分が出来ないケイスケにも分かるはずだ。ちなみにケイスケは高校生になっても因数分解が出来なかったし、swimの過去形はswimedだといまだに思っているし、教師にこれを読めと言われて出された漢字「河川敷」を「かわかわ」と途中まで読んだ挙げ句「敷」という漢字の存在を知らず、習ってませんと答えて殴られたこともあった。
要するにどんな馬鹿でもその行為は絶対に洒落にならない事なのだと分かるというのに、マサヒロは逃げ惑う鯉達を清掃用のブリキのバケツに放り込み、大漁大漁と言って、誇らしげに鼻をすすったのだった。
鯉の入ったバケツは2つあった。バケツ1つにつき2匹の鯉がぴったり収まっている。とても呼吸出来るとは思えない。鯉が暴れてバケツはぐらぐら揺れる。
1つをタカシに持たせてマサヒロは言った。
「これから、こいつらを開放する」
僕達が何の事かさっぱり分からず、口を開けてぽかんとしていたのに気づいたマサヒロは話を続けた。
「こいつらは狭く暗いこの水槽で一生を過ごすんだ。わかるか?」
マサヒロは同意を求めた。僕には分からなかった。今の方が狭いと思う。
「だから、おれらが開放してやるんだよ。青く広く、空の見える自由のあるところにな」
左手でバケツを持ち、右手で手賀沼の方向を指差して言い放った。
ヒロは言った。
「無理だよ。手賀沼まで運ぶのは無茶だ。そんなに長く鯉の息は保たないよ。もうバケツからはねる音がしなくなったじゃないか」
ヒロは細かい事にうるさい神経質な男だ。どれぐらい神経質かと言うと女を呼んで寝た後に「眠れないから帰ってくれ」と言うほど神経質で、小学生の時は給食を食べるのがクラスで一番最後で(その理由は牛乳が飲めなくて先生にいつも怒られていたから)僕と違い吹奏楽を愛していた。彼はトロンボーン吹きで、いつも早口でローストさんのスブタがどうとかライムがどうとか話を振ってくるのだけれど、僕は吹奏楽に全く興味がなく、美味しそうな名前だな、くらいにしか考えられなかった。
「ばっか。ちげーよ。あそこ、あそこ。プール」
プールが青いのは壁が塗料で塗られているからで、100センチメートル四方の溜め池からは大幅なスケールアップされたとはいえ、その自由は結局の所15メートル×25メートルに限定されているのである。
単純にマサヒロは先日読了した「愛と幻想のファシズム」にかぶれて、自由、開放、改革、等の言葉を使いたかっただけなのだ。
僕は何か言って余計にめんどくさい事を起こされるのがいやだったので、うんうん、と頷いて言われるままに扉の裏側に回りカギを開け、蚊に食われてぼろぼろになった4人と息も絶え絶え瀕死の鯉を水泳場に招き入れた。
プールは暗く、広く、底が見えず僕らを恐怖させた。水面には歪んだ三日月が漂い、端から端まで渡された数珠つなぎのブイがカラカラと乾いた音を発していた。
マサヒロは飛び込み台に片足を乗せると、水面に向かってバケツをひっくり返した。
2匹の鯉がすっと円を描く。きらきらひかる。暗い水面でも錦鯉の背中は月明かりを受けて輝いていた。
マサヒロに促されたタカシがプールに鯉を放つ。
鯉はまっすぐに25メートル進むとターンして戻って来た。今度は右に左に泳ぎ回り、次第に中心部に集まっていった。狭い人工の池でぶつかり合いごった返していた鯉がこんなにも優雅に泳ぐとは思いもよらず、鯉というのはこんなにも美しい魚だったのか、と僕らはプールのレーンにそれぞれ立ってその姿をいつまでも眺めていた、
かった。
とんでもない質量が水面に落ちる音がした、その方向に目を向けて、それがケイスケだと理解した時には既に僕の尻はマサヒロによって蹴飛ばされており、僕はポケットに手を入れたまま顔から水面に突っ込んだ。
深夜の水は予想に反して冷たくなく、僕は夏の暑さとマサヒロの頭の悪さを改めて認識することになったのだった。
続く。